歴史的景観を形作る伝統家屋は、地域の魅力を高め、文化を未来へと継承する貴重な存在です。しかし、その維持管理には大きな負担が伴い、多くの町で文化的な街並みが失われつつあります。
古都・奈良の中心部にある今辻子町も例外ではなく、かつての伝統家屋の多くが姿を消してしまいました。経済的な観点からは、私たちの町屋も近代的な建物に建て替える方が簡単で正しい選択なのかも知れません。
しかしながら伝統家屋の減少は、景観の喪失にとどまりません。それらの空間を舞台に営まれてきた日本文化の衰退を招き、ひいては地域産業や伝統工芸にも影響を及ぼします。そして歴史ある伝統家屋は、一度壊してしまうと新しく作ることは不可能です。
私たちは、伝統家屋を新たな価値を生み出す場として活用することで維持・保存し、文化振興と地域経済に微力ながらも貢献できればと願っています。
沿革
中川家は1700年ごろに創業した商家で、主に武士の礼装(裃)に使われる高級麻織物である奈良晒を製造・販売していました。この建物はもともと近鉄奈良駅前の噴水広場に建っていましたが、大正3年(1914)に大阪電気軌道奈良駅(現在の近鉄奈良駅)の建設に伴って東向中町から今辻子町の現在地に移築されました。伝統的な町屋の好例であり、全体に端正な意匠で材料や造りが上質であることから国の登録有形文化財に指定されています。
主屋は通りに東面して建つ、木造つし2階建、桟瓦葺の町家です。正面は、平格子と出格子をたて、霧除を付し、上部は出桁で軒を深め、虫籠窓と両端に袖壁を設けます。内部は、1間半の吹き抜けの広い通り土間に沿って居室が2列に並び、1階2階それぞれに座敷を設けています。座敷はどちらも、床・棚・天袋・地袋・付け書院を備える端正な座敷飾りを構え、次の間境には透かし彫りを施した板欄間を入れるなど、大正期らしい洗練さを備えます。